10年前の北海道マラソン
みなさん、こんばんは。
うきです。
今日は北海道マラソンがありました。
ランナー、そして関係の皆さま、お疲れさまでした。
北海道マラソンと言えば、思い出すのはちょうど10年前の2009年8月30日日曜日の大会です。
この日は、衆議院選挙もあって、民主党が自民党を大きく打ち負かしそうだと、世間ではかなり大騒ぎになっていました。与野党逆転が強調されていましたが、自民党は1994年にも政権から離れたことがあります。それなのに何十年も自民党が政権を取っていたかのような論調です。
みんな、社会党の村山さんが総理大臣だったことを忘れてしまったのかしらと不思議に思うと同時に、自民党嫌いの私でも、この時の熱狂ぶりにはついて行けませんでした。
この時の民主党は小沢チルドレンと呼ばれる女性たちが活躍されていました。
懐かしいですね。
世間の盛り上がりに全くついて行けない私でしたが、それもそのはず、この頃、私は人生最大の苦渋を舐めていたのでした。
当時勤めていた会社が民事再生を申請して破綻。会社は東京の百貨店グループに営業譲渡され、2009年の8月からその子会社として再出発することになりました。
7月いっぱいで従業員は全員解雇となり、新会社へは自分の希望業務や職位を申請しながら応募するという形での選別がありました。私は係長でしたが、2ランクダウンの契約社員になりました。
給料は半分くらいに下がってしまいます。
この結果を知ったのは、7月21日でしたが、すぐに頭に浮かんだのは、引っ越しです。もっと家賃の安いところに行かなければ……。
この時の私の行動力は自分でも驚くほど早かったです。
そして希望通りの安くて狭い部屋に入居することができました。
2ランクダウンは、ショックでしたが、落ち込んだら、そのまま奈落まで落ちて行きそうで、私は現実を無視して生きていました。わーん、私、契約社員になっちゃったわと自分の状況をあけすけに言いながら(こうすれば他人から聞かれることはありません)、けろっと平気な顔をしていました。
8月1日に新会社に入社し、契約社員として働くかたわら、同26日に引っ越しを終えました。私のすごいのは、この状況で必ずや今の苦境を脱してみせるという闘志がふつふつと湧いて来ることです。
会社とは別の周囲の人々にも、黙っていればわからないものをわざわざ、リストラで給料が半分になってしまうと公言していました。
そんな私の状況や決意を記した「引っ越しハガキ」を印刷し、8月30日に投函することにしました。
全部で50枚くらいあったでしょうか。
私製ハガキなので、別納か後納で切手代を郵便局に払ってから投函です。
30日は日曜日ですから、開いているのは中央郵便局だけで、私は決意表明のハガキを小脇に抱えながら地下鉄に乗って出かけて行きました。
地下鉄を降りてからも結構歩いて、ようやく郵便局前の横断歩道に達した時、行く手を阻まれていることに気づきました。
なんと北海道マラソンのコースのため、通行止めだというのです。
郵便局に行きたければ、うんと遠回りをして、陸橋を渡らなけばなりません。
苦境を脱する決意表明のハガキの、スムーズな投函も足止めされた私は、苦笑せざるを得ませんでした。
そうこうするうちに、北海道マラソンのランナーの一群が現れたのでした。
マラソン競技を近くで見るのは初めてで、ものすごいスピードに圧倒されてしまいました。
人生の最悪期に見た、迫力あるシーンをこの目にしっかり焼き付けておこうと思いました。
そしていつか必ず、そんなこともあったと笑って思い出せるようになろうと決意したのでした。
あれから10年。
さすがに当時勤めていた会社は辞めましたが、あの時の決意から見ると今は、ほとんど何も変わっていないと言えます。
いやはや、人間、決意とか情熱だけでは変われないことが、10年かけて、よくよく腹落ちしました。
亀の歩みの私ですから、なかなか前進できませんが、これからの10年こそ、何とか飛躍したいと思います。